真剣な料理人同士の対決が楽しめる「料理の鉄人」。
1993年10月10日からフジテレビ系列で放送されたバラエティ料理番組です。
料理の鉄人は、和洋中の鉄人が数多くの挑戦者(ゲストシェフ)と制限時間内に料理で対決する番組です。
その舞台となるのが「キッチンスタジアム」。
挑戦者が選んだ鉄人と、番組の最初に発表されたテーマ食材を使い、制限時間内に調理、盛り付けをし、その料理を審査員に審査判定してもらい勝者を決めます。
番組では、鉄人と、有名な料理人でテレビでも活躍した周富徳さんや、神田川俊郎さんなどの挑戦者との料理対決、それを審査する豪華な審査員、そして料理対決を面白く伝える実況などで大人気番組となりました。
人気番組となった料理の鉄人は、番組内容もさることながら、番組出演者のセリフも大きな話題となりました。
「美食アカデミー」の主宰役の鹿賀丈史さんの番組冒頭でのセリフ「私の記憶が確かならば~」や、試合開始の言葉「アレ・キュイジーヌ」、審査員である岸朝子さんの試食後の「美味しゅうございました」も話題となりました。
料理の鉄人たち
番組になくてはならない一流の料理人である「鉄人」。
ここでは番組で活躍した鉄人を紹介します。
初代 和の鉄人 道場六三郎
和の鉄人として1993年10月~1996年1月まで活躍し、名誉鉄人の座にも就いた道場六三郎(みちばろくさぶろう)さん。
「銀座 ろくさん亭」オーナー(番組登場時)で、和食の料理人でありながらジャンルにとらわれない料理を生み出し、「日本料理界の異端児」と呼ばれました。
お馴染みとなった対決中に筆で書く「お品書き」や、道場六三郎さんが作る、鰹節や昆布をふんだんに使った出汁は「命の出汁」と呼ばれました。
コスチュームカラーは青。
2代目 和の鉄人 中村孝明
2代目和の鉄人として1996年3月~1998年2月まで活躍し、名誉鉄人の座にも就いた中村孝明(なかむらこうめい)さん。
「なだ万」理事・総料理長(番組登場時)で、番組では「料理界の諸葛孔明」と呼ばれました。
コスチュームカラーは紫。
3代目 和の鉄人 森本正治
3代目和の鉄人として1998年2月~2002年1月まで活躍した、「ニューヨークからやって来た鉄人」の触れ込みで番組に登場した森本正治(もりもとまさはる)さん。
番組では「料理界の織田信長」と呼ばれ、番組終了後の2005年からは、アメリカ合衆国で放送されている「アイアン・シェフ・アメリカ」でも鉄人を務めています。
コスチュームカラーはシルバーに赤線。
中華の鉄人 陳建一
「四川の神様」といわれた陳健民さんを父に持つ「四川飯店」のオーナーシェフ(番組登場時)である陳建一(ちんけんいち)さん。
中華の鉄人として番組開始から出演し、最終回まで鉄人をやりぬいた唯一の鉄人です。
コスチュームカラーは黄色。
初代 フレンチの鉄人 石鍋裕
フレンチの鉄人として1993年10月~1994年1月まで活躍し、名誉鉄人の座にも就いた石鍋裕(いしなべゆたか)さん。
1970年代に新進気鋭の料理人達の手で結成された「クラブ・デトラント」のメンバーで、番組では「フランス料理界のヴィスコンティ」と呼ばれていました。
コスチュームカラーは緑色。
2代目 フレンチの鉄人 坂井宏行
2代目フレンチの鉄人として1994年2月~2002年1月まで活躍した坂井宏行(さかいひろゆき)さん。
石鍋裕さんと同じく「クラブ・デトラント」のメンバーで、番組では「フランス料理界のドラクロワ」と呼ばれていました。
コスチュームカラーは赤色。
イタリアンの鉄人 神戸勝彦
イタリアンの鉄人として1997年6月~2002年1月まで活躍した神戸勝彦(こうべまさひこ)さん。
20代という若さで新たなジャンルのイタリアンの鉄人として起用され、番組では「パスタのプリンス」と呼ばれていました。
コスチュームカラーは黒と白と赤の3色。
料理の鉄人は、1999年9月24日に放送を終了しますが、2002年に特番で復活、2012年10月には海外版と同じ「アイアンシェフ」とタイトルを変え放送されました。