歌謡曲、映画や舞台などで活躍した昭和の大スター「美空ひばり(みそらひばり)」さん。
デビューから40有余年にわたって日本歌謡界の第一線で活躍した、歌謡界の女王「美空ひばり」さんのご紹介です。
美空ひばり(本名:加藤和枝)さんは、1937年5月29日に神奈川県横浜市で生まれました。
1945年に、私財を投じて自前の「青空楽団」を設立し舞台活動を開始。
その後、主演を果たした1949年公開の映画「悲しき口笛」が大ヒット、同主題歌も当時の史上最高記録となる45万枚を売り上げを記録しました。
この時、実に12歳!
当時の服装「シルクハットに燕尾服」で歌う姿は、幼少時代の美空ひばりさんを代表するものとしてテレビなどで紹介されています。
続く、映画「東京キッド」も、同主題歌とともに大ヒット、1954年には「ひばりのマドロスさん」でNHK紅白歌合戦に初出場、1955年には「江利チエミ」さんと「雪村いずみ」さんとともに三人娘として人気を博しました。
次の項目では美空ひばりさんの代表曲をご紹介します。
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美空ひばりさんの代表曲
数々のヒット曲を誕生させた美空ひばりさん。
ここでは美空ひばりさんの代表曲の一部をご紹介します。
リンゴ追分
1952年5月1日発売、主演映画「リンゴ園の少女」の主題歌「リンゴ追分」。
当時の戦後最大の売り上げとなる70万枚、最終的には130万枚以上の売り上げを記録しました。
この頃から、美空ひばりさんの愛称である「お嬢」と呼ばれるようになりました。
柔
東京オリンピックのあった1964年11月20日に発売された「柔」。
1964年~1965年に日本テレビ系列で放送された、柔道の総本山「講道館」を描いたドラマ「柔」「柔一筋」「続・柔」の3シリーズの主題歌。
この楽曲で「第7回日本レコード大賞」を受賞し「NHK紅白歌合戦」では、1964年に紅組のトリ、そして1965年には大トリを務めました。
セールスも190万枚以上を売り上げる大ヒットとなりました。
悲しい酒
1966年6月10日発売、145万枚以上の売り上げを記録した「悲しい酒」。
この楽曲をテレビで歌唱する際には涙を流しながら歌う事が多く、その姿はいつみても感動してしまいます。
その年の「第17回NHK紅白歌合戦」では、この楽曲で紅組のトリを務めています。
真っ赤な太陽
「ブルー・シャトウ」で大ヒットした「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」の5人を従え、1967年5月25日発売した「真っ赤な太陽」。
ミニスカートで歌い、ゴーゴーダンスを踊る姿は、それまでの美空ひばりさんのイメージと大きく異なり、新しい美空ひばりを見せた楽曲でした。
140万枚以上を売り上げ大ヒットした名曲「真っ赤な太陽」は、後に「さだまさし」さんや「テレサ・テン」さんなど、多くのミュージシャンにカバーされました。
川の流れのように
1988年12月発売のアルバム「川の流れのように~不死鳥パートII」からシングルカットされた、生涯最後のシングル「川の流れのように」は、1989年1月11日に発売されました。
作詞「秋元康」さん、作曲「見岳章」さん、編曲「竜崎孝路」さんによって制作された本曲は、幅広い世代に支持され150万枚以上を売り上げる大ヒットとなり、第31回日本レコード大賞特別栄誉歌手賞受賞しました。
「川の流れのように」は、今も多くの人達に歌い継がれる名曲です。
この他にも「東京キッド」や「愛燦燦」など、通算レコーディング曲数1,500曲、オリジナル楽曲517曲と数多くの名曲を発表しました。
不死鳥コンサート
昭和の歌姫の晩年は病魔との闘いでした。
1987年4月に体調不良を訴え入院。退院後の復帰公演となる「不死鳥/美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!! 新しき空に向かって」は、普通であれば歌うことはもちろん、立つことすら難しい病状の中、1988年4月11日に東京ドームのステージに立ち合計39曲を熱唱しました。
また、コンサートで着用した「森英恵」デザインの、不死鳥をイメージした衣装も印象的でした。
まさに命を削って臨んだ伝説のステージは、後にビデオやDVD化もされています。
美空ひばりさん 逝去
昭和の歌姫「美空ひばり」さんは、再度の奇跡の復活は果たせぬまま、1989年6月24日に逝去。52歳没。
没後の1989年7月には、長年の歌謡界に対する貢献を評価され、女性として初めてとなる国民栄誉賞を受賞。
また、生誕80周年となる2017年に開催された「美空ひばり不死鳥コンサート2017」では「AKB48」や「五木ひろし」さんなど22組の豪華アーティストが集い、美空ひばりさんの名曲を披露、今も多くのアーティストによって歌い継がれています。
昭和の歌姫「美空ひばり」さん。
その歌声は、今も多くのファンの心の中で生き続けています。